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「蝦夷地別件」制作日記 その壱

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原作/船戸与一
       脚本/鐘下辰男
                 演出/亀井光子

劇団仲間は2004年2月俳優座劇場で「蝦夷地別件」を公演します。
公演は一年後です。気長にこの制作日記を作っていきたいと思います。
今回はまず、この大作を脚色して下さる鐘下辰男氏のご紹介。
劇団仲間とは初顔合わせの氏ですが、この歴史巨編をどんな脚本に
仕上げて下さるのかとても楽しみです。

  
【鐘下辰男プロフィール】
1964年北海道生まれ。
日本工学院専門学校、劇団青年座を経て、87年に演劇企画集団THE・ガジラを創立。
以後劇作家・演出家として作品を発表。
92年に「tatuya−最愛なる者の側へ」などで第42回芸術選奨文部大臣賞新人賞を受賞。
97年には、第32回紀伊國屋演劇賞個人賞を「PW」の戯曲と演出、文学座に書き下ろした「寒花」で受賞。
また第5回読売演劇大賞の大賞・最優秀演出家賞を「PW」/「温室の前」(作・岸田國士)/「仮釈放」(原 作・吉村昭)/「どん底」(作・松田正隆)の4作品で受賞。
多方面に仕事の幅を広げながら、常に日本人を見据えた作品を創り続けている。

『畑の土器』 鐘下 辰男

 北海道の道東地方に屈指の穀倉地帯、十勝平野が拡がっている。わたしが生まれたのはその十 勝平野にある、人口6,000人あまりの鹿追という町だ。わたしの家はその町で農業を営んでいたわ けであるが、農家の常で、子どもたちは時折畑に出て大人たちの手伝いをさせられる。確かその日も そうしたことでわたしは家の畑に出ていたのだろう。なにしろ小学校の低学年の頃だからそこいらの記 憶は至極あいまいである。小学校の低学年ということもあり、手伝いと言うよりは親につきそって畑で 遊んでいたのかもしれない。とにかくわたしはその時畑にいて土いじりをしていたわけであるが、その とき土の中から一片の陶器の破片を見つけたわけである。陶器というよりも、釉薬が塗られたもので はなく、それは素焼きに近いもので、なおかつその表面には縄目模様が刻まれていることから、瞬間 これは土器だとわたしは歓喜した。土器という知識を有していたのだからもしかしたらそれは小学校の 高学年だったのかもしれない。とにかくわたしはそれが土器だということに歓喜したのである。しかし それは歴史好きの少年が土器を発見したというロマンあふれる歓喜とは少々異なるものであった。子 どもというものは大概昆虫好きなもので、わたしも御多分に洩れずよく昆虫採集などに精を出した少年 だったわけだが、図鑑などで見る美しい形態をした昆虫の多くが大抵その分布の項に「北海道はのぞ く」などと記入されていたもので、子どもながらに「あぁ、北海道って別ものなんだなぁ」という一種の疎 外感を持っていた。学校で習う歴史の時間でも、日本は縄文時代から弥生時代へと変遷していったと いうことを聞いてもなんだか他の国の歴史を聞いているようであった。だからその土器を発見したとき、 わたしは咄嗟に「北海道にも縄文時代があったんだ」と思い、そしてそれに歓喜したのである。「北海 道も日本」だと。そうした無意識の中央志向が実は一番怖いものなのだということを、後年わたしは知 ることになるが、その当時はもちろんそんなことを思うわけもなく、その発見した土器を手に、一目散に 母親の所へと行き「これはね縄文式土器と言ってね、何千年も前のものだよ、日本の歴史で習ったん だ」と自慢気に言った。そのときの母親の返答が、今も耳にはっきりと残っている。母親はわたしの興 奮などどこ吹く風というように、いとも簡単にその土器を手に取り、「あぁ、これはアイヌのだわぁ」と言っ た。数千年にも及ぶ日本の歴史ロマンに浸りきっていたわたしの興奮は、この母親の一言ですっかり と異質なものへと変えられてしまったのである。思えばあのときが、わたしの北方の歴史への関心の 萌芽だったのかもしれない。少なくともわたしの生まれ育った土地には、あきらかに先住者がおり、自 分たちはその先住者から土地を奪い去り、こうして生活を営んでいるということへの罪悪感は、大人の それよりも子どもの方が純粋なものである。以降、学校教育では決して習わない歴史、つまり日本の 歴史ではなかったことになっている北方の歴史というものの存在が、わたしの頭の片隅に棲みつくよ うになった。 今回の、『蝦夷地別件』との出会いは、そうしたわたしの願いがかなえられた格好にもな ったわけである。